蒲田地区その1(蒲田図書館)

菖蒲園

JR蒲田駅方面からバス通りを蒲田図書館方面に歩いてくると、呑川に斜めに架かる「あやめ橋」を渡ります。
みなさん、この橋がなぜ「あやめ橋」と名づけられたのかご存じですか?
明治末期、この一帯には広大な菖蒲園がありました。オープンしたのは明治36年(1903年)。横浜植木株式会社が経営していました。
横浜植木は、輸出用の球根販売が主な業務だったようです。
広い園内には藤棚も設えられ、牡丹等も植えられていました。入
園料は、大人5銭、子人3銭とのことですが、なかなか賑わっていたようです。
ところが、開園当初、今のJR蒲田駅はありませんでした。
実は蒲田村と周辺6か村が連合して明治29年(1896年)、大森駅と川崎駅の中間に蒲田駅設置の請願を逓信大臣に提出していましたが、認可が下りません。そ
こに集客力がある菖蒲園開園は、蒲田駅設置の追い風になって、明治37年(1904年)4月11日、蒲田駅が開業します。

菖蒲園

椿神社

行方弾正ゆかりの円頓寺のすぐ近くに椿神社があります。
円頓寺前の道を第一京浜国道方面に進むと変則五差路がありその一角に椿神社があります。
いつ頃創建されたのかは不明ですが、ご祭神は猿田彦命(さるたひこのかみ)です。
この椿神社、ちょっと変わった習わしが伝わっています。 鳥居をくぐると、麻紐がぶら下がっているのが目に入ります。
これは、風邪、百日咳、喘息等の治癒を祈願し、奉納してある麻紐を拝受して首に巻き、全治すると新しい麻紐を2倍にして奉納するという言い伝えがあり、その麻紐です。
また、椿神社はお参りするとき、社殿に線香を供えるという、神仏混淆の習わしが伝わっています。
教育委員会が設置した説明板によると、足の病が治癒するよう祈願しわらじを奉納することもあったようです。
ご祭神の猿田彦命は道陸神(どうろくじん、道案内の神)で、村に悪霊等が入ってこないよう村を守る力があるとされ、「関」の神として存在しており、それが転じて「咳」の治癒に繋がったのでしょう。
この一帯は梅の名所であり、村の家々には梅の木が多数植えられていましたが、何故に椿なのでしょうか?
それはご祭神の猿田彦命が椿大神社(つばきおおかみのやしろ)に祀られていることに由来するからでしょう。

椿神社

参考資料

「博物館ノートNo1~No150」大田区立郷土博物館編

「大田区の文化財 第7集 大田区の神社」